[由来]
昔、おなかを空かせていたところを若夫婦に助けられたテジロ猿が、大やけどを負った夫婦の子供を治癒した温泉です。
それが猿ヶ京温泉の始まりといわれています。
無色透明で湯量が大変豊富です。止まることなく湧き出る摂氏56℃の源泉が、猿ヶ京の温泉郷一帯を長い間潤し続けています。
江戸時代には笹の湯・湯島温泉と呼ばれ、名湯として賑いを見せた三国街道沿いの一角が、昭和33年にダム建設のために赤谷湖の底深く沈んでしまいました。この温泉街を移し、さらには名前も改め、近代的なホテル街へと生まれ変わったのが現在の猿ヶ京温泉です。
谷川連峰を望み、また赤谷湖を望む、伝説の里猿ヶ京。
猿ヶ京温泉のお宿の周辺には、民芸品店、民話と紙芝居が楽しめる『でんでこ座』などの郷土の香り漂う施設や、与謝野晶子をはじめとする、歴史や文学を学べる場所がいっぱい。リンゴ狩りに、スキーにと、四季を通じて自然にも触れあえます。そうしてあっちにこっちにと足を運んで、宿に戻ってから浸かる温泉の湯の心地よさはまた格別ですよ。
[特徴]
入浴することで、高血圧、動脈硬化症、リウマチ性疾患、痛風、尿酸素質、創傷などに効きます。56.5℃の硫酸塩泉である、無色透明のこのお湯は、慢性胆のう炎、胆石症、慢性便秘、痛風慢性消化器病などに飲用効能もあるといわれています。
[飲用時の用法・用量]
用法・源泉をそのまま飲用する |
1日の用量 |
大人(16歳以上) |
600ml以下 |
15歳~8歳 |
300ml以下 |
7歳~5歳 |
200ml以下 |
4歳~3歳 |
100ml以下 |
2歳以下 |
60ml以下 |
飲んではいけない場合 |
腎臓病、高血圧症、下痢のとき、その他一般にむくみのあるとき。 |
有名な戦国武将、上杉謙信。彼が越後から三国峠を越えてこの辺り(当時は宮野と呼ばれていました)にやって来た時のお話。どこまでも広がる大地に立ち、やはり果てなく広がる空を見、この地を治めたいという強い衝動に駆られました。
その夜、謙信は飲酒し、気持ちよく眠りについたところでなんとも奇妙な夢を見ました。
宴の席でごちそうを口に入れたとたん、前歯がいっきに8本も抜け、手の中に落ちてしまうという夢です。戦の直前にいやな夢を見たと家来に言うと、「片っ端から関八州を手中にするという、縁起の良い夢でございます」とのこと。その日はちょうど唐申の年、申の月、申の日、そしてなんと謙信の生まれ年も申年だったことから、「この地を申ヶ今日と改めるぞ」と、謙信も上機嫌。
この『申ヶ今日』が訛り、文字も変わって『猿ヶ京』と呼ばれるようになったといわれています。
■昔、むかし、この村に農家があって、若夫婦がいたんだそうな。
ある日だんなが山で仕事をしていると、腹を空かして弱っている猿を見つけたんだ、かわいそうに思ってうちに連れて帰ったんだ・・・
■昔々、あるところにおじいさんとおばあさんとその息子が貧しく暮らしていました。年の暮れも近づいたある日、おじいさんが作った麻のひもをおばあさんが織り、できた反物を売って、そのお金で正月用の品を買ってくるように息子に頼みました・・・
■昔々のお話。おじいさんが田んぼをこさえて、水を引くために堰(せき)をつくりました。ところがある日、大水のせいでこの堰がこわれてしまったのです。
せっかくの田んぼに水を引けなくなり、大変困ったおじいさんは・・・
■昔々あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。ある夜、おじいさんがわら細工を、おばあさんが縫い物をしていると『とんとんっ、とんとんっ』と戸を叩くような音が聞こえてきました・・・
■里の奥に、あらたかな神様があられました。三国峠の途中にある権現(ごんげん)様です。里からそこに行くには1里登って、さらに下りが1里。大変遠い場所でしたが、人々は・・・
■昔、爺さんに聞いた話だけど、三国街道の旅人が石に腰掛けて、そこらの景色を眺めながら休んでいた。そうしたら、そこに村の衆が通りかかったので旅人が、「村の人かね。むこうに見える山はなんていう山だい」って聞いたと・・・
■昔あるところに、キツネとかわうそがいて、この二匹はよく行き来をしていたわけだ。いつもキツネは、かわうそのとこ行っちゃあ、ごっそうになる。で、ある時、キツネがかわうそに・・・
■神明様の前を通る堰の水は、みずかみの水と一般に呼ばれているが、あの水は昔、弘法大師様が水を出したと言われている。この話は俺の家だけに伝わる話だ。俺の家は昔はにたの山にあったのだが、ここの宮野に出てきた・・・